練鑑物語 後編

練鑑物語

時は平成9年11月

護送バスに乗せられて

霞ヶ関の検察庁から練馬区にある東京少年鑑別所へとやってきた。

私の他にも数名いる、その辺のヤンキーみたいな奴らだ。

はじめに荷物検査をするのだけど衝撃的だったのが、全裸になって前屈みになってけつの穴を広げてチェックされたことだ。

侮辱的以外何物でもない行為だ。

その後に歩き方の訓練、スリッパをパタパタ音させないとか。

その日は個室に入れられた。

立って部屋から塀の外の景色を眺めてたら職員に注意された。

いまいちルールが分からない。

翌日から大部屋に移された。

部屋の住人は2人居た

1人は坊主頭で世田谷の暴走族の抗争で入っていた

もう1人は墨田区のガソリンスタンドに窃盗に入ってココに来ていた

2人共17歳

19歳の私をたててくれた、本来なら入った順に威張るものだがこの3人とは仲良く過ごした

鑑別所は家庭裁判所の結果、ここでは審判と呼ばれていたが、それがわかるまで大体4週間過ごす。

日中は特に何もすることが無い

朝起きて、運動希望者は体育館へ

部屋ではダラダラとテーブルを並べておしゃべりだ。

何の目的もない合宿とか部活みたいな感じだ。

夕方18時になると館内放送が流れる。

審判の日まで今後の生き方について考えなさい的な。

暴走族の小次郎君は審判の印象を良くするために貼り絵やら漢字の書取りやらをやっていた。

少年院に行くにしても少しでも期間が短い方がいいからだ。

職員の事は先生と呼んでいた。

アイパーのマスオ君はまだ高校在学中だから4週間経つ前にここを出れそうだと言っていた。

しばらくして小次郎君とマスオ君は出て行った。

直ぐに入って来たのは霞ヶ関で会ったジャイアン!

おお!久しぶり!と再会した。

ジャイアンには過去の悪事を色々聞いた。

彼のカツアゲの仕方はこうだ

元々柔道やってたようで、ターゲットを路地裏で背負い投げ、正座をさせながらオナニーをさせてる間に財布の金をとっていたそうだ。

オナニーさせても「すみません、立ちません」って言ってくるやつもいるんですよー等と言っていた。

シャバで会いたくないタイプだ。

でもこの中では打ち解けて色々と話した。

たまには気分転換に行くか!と朝の運動に出た時のこと。

体育館をめちゃくちゃ走らされたあとは腕立て伏せ、永遠に!

担当の先生はこれ見よがしに

「君達はこんなことも出来ないのかい」と

親指のみで指立て伏せをやっていた。

運動に出ると他の部屋の人間と交流出来るのは面白かった。

未成年なのにダフ屋で捕まったとかレアな奴も居た。

部屋の住人で変わった所だと、大麻でパクられて来たロン毛君。

俺はラスタマンだから肉は食わない。

君は絶対に出ても直ぐに大麻で捕まってしまうよ。

日中はよほど大声で無い限り喋っていても問題無い。

本当に合宿のようだ。

テレビの時間は皆んなでスピードのホワイトラブの振り付けを真似していた。

そんな4週間最後の日は個室に移動した。

秋の夕焼けを眺めていたら先生が話しかけに来た。

先生、俺はこの季節の紫色の夕焼けが好きなんですよ。

お前ならシャバで上手くやっていけるから頑張れよと言われた。

翌日、霞ヶ関の家庭裁判所で審判が終わり無事に保護観察処分でシャバへ出れた。

おふくろと女が迎えに来てくれていた。

近くの駅でおふくろと別れて家路についた。

19歳のガキが親の有り難みを知るのはもう少し先の話だ。

終わり

コメント

タイトルとURLをコピーしました